日記

日記

8.31

あと3分で8月が終わる。これを書き終わるときにはもう9月になっているだろう。

 

今夏の印象は皆無だ。暑さは短かったし特に目立ったイベントも無かった。

毎日にタスクが設けられているのが俺にとっての平凡な日常となってしまった。精神的に疲弊してしまうスケジュールを確認する度、感情が磨り減っていく感覚に陥る。何を考えても何を考えても、怠いし億劫だ。

 

俺は写真が得意ではない。好き嫌いではなく、不得意なのだ。Instagramの普及で写真そのものを見る機会は増えた。それが余計に俺への苦手意識を増長させる。

というのも、写真には必ず被写体と撮影者がいる。被写体は人や物や風景など決まったものではあるが、画像から撮影者情報は一切読み取れない。これがそこはかとなく俺を苛立たせるのだ。写真は撮影者のエゴの塊だ。撮影者によってトリミングされ、梱包され、被写体を弄ぶ。俺はそこに撮影者の存在を被写体以上に感じてしまって、どうも写真を見るのが苦手なのだ。

 

そうこうしているうちに9月になった。さようなら。

8.12

猛暑を感じる。

最近の暑さは異常だ。外に一歩出ることすら憂鬱だし、欲を言えば屋内でも辛い。皮膚もろとも衣類を剥ぎたいと常日頃思う。

 

最近はよく怒りを感じる。特別きっかけがあったわけではない。人間関係の不良でもなければ、陰口を叩かれただの、そういった類の話ではない。フツフツと湧き上がるのだ。何となく。

それに対し客観的に原因を探ることがしばしばあるのだが、先ほど1つの結論を出した。愛だ。愛に飢えている。

しがないポップミュージシャンが題材にする異性の愛ではない。ある種承認欲求に近い、もっと暗く固まった愛。誰からも好かれ、誰からも必要とされたい。私にとって対人関係における究極形態は、おそらく国王に近いものなのである。国民に好かれ、国王の指示を仰ぎ、それを待つ。何と愉快なことか。

 

馬鹿馬鹿しい。だがそう思う夜があってもいいだろう。今思ったが以前の記事に比べ今回は文体が完璧に変わってしまった。しかし以前からそうだったが、ですます調よりも、だである調の方が簡単にかけるので、今回以降はそのように書こうと思う。

12.25.

クリスマスに恋人同士で愛を深めることのロマンチシズムを私は否定しようとは思いません。たとえ商業主義に成り下がったクリスマスも、家族、友人、恋人のためにその日限りの思いやりを形にして祝うその行動の意味だけは、決して変えられることのない心の言葉であると思います。

 

最近は寒くなってきました。年末には更なる寒波が押し寄せるのだとか。

一年の採算を取ろうと街は慌ただしくなってきます。年の瀬には毎年うんざりするのですが、この一年で出会った喜びや悲しみ、幸せも不幸せも過去のものとして自らの内にしまい込み、また次の年に向けてせこせこと準備を始めようと思います。

10/31

バンドを続けるのが厳しくなってきました。

何事も、一緒に事業を進めるに大切なのは友情だけでなく、その人となりや一緒に進むための歩幅や、重要なものは沢山あります。友人としては大切なメンバーですが、どうも一緒に音楽をやるには互いに重荷になってきたのです。

 

しかし、音楽をやめるつもりは一切ないです。曲を作ることが自分を偽りなく表現できる唯一の方法であって、それをやめることは出来ません。活休が薄っすらと雰囲気で伝わってきてから、今後の音楽活動の形を考え、少しイメージが固まってきてモチベーションが上がり、ここ1週間で新曲5曲分のモチーフが出来上がりました。

 

もし今後、このイメージが現実として音楽活動を再開できるなら、今までより自分らしく自分が好きな曲を作っていきたいと思います。その結果として、その曲群を愛していただける方がいるのなら、より嬉しいことですが、それを1番の目標とはせず、頑張りたいと思っています。

10/8

祖母が亡くなりました。

彼女は認知症でした。祖父が亡くなってから認知症が、介護を試みた母を追い詰めるほどに悪化し、僕は彼女を激しく嫌いになったこともありました。もう10年近く前の話です。

生前、彼女は祖父を心の底から愛していました。仲睦まじく手を引き合いながらその老体を前へ前へと進めている姿が今でも鮮明に思い出されます。そんな愛した夫が亡くなってからは、「お父さんはどこ行ったん?」と事あるごとに問い、僕や両親や兄は、容赦もなく「貴方の夫は死んだ」と事実を突きつけ、最愛の夫が亡くなった悲しみを何度も何度も押し付けました。

祖母は幼い頃に両親を亡くし、遠く離れた親戚の家で育てられ、大平洋戦争を終え、祖父と出会いひとり娘を身籠りました。その出会いも決して世間に良いと思われるものではなく、今思えば彼女の人生は寂しいものだったと思います。

通夜のための写真を探すと、僕や兄や両親や祖父との写真が大半でした。趣味の短歌では、孫である僕らのことをただひたすらに愛していると謳っていました。

 

なぜ、生前に優しくしてあげられなかったのだろう。もっと愛してあげられなかったのだろう。もっと話してあげられなかったのだろう。もっと一緒にいてやれなかったのだろう。もっと一緒に生きられなかったのだろう。

 

納棺の際、彼女は好きだった多くの花に囲まれていました。闘病生活で痩せ細った姿は綺麗に化粧され、とても美しい老女に見えました。その姿を見て、僕は生前に出来なかった数々の後悔に想いを馳せるばかりでした。

 

認知症は、人を変えます。その病人も周りの人も。彼女たちは、日に日に覚えられなくなる自身に絶望し、絶望し、そしてその絶望すらもわからなくなっていくのです。

もし、認知症患者が周りにいるのなら、彼女たちの話す、彼女たちの世界に、一緒に付き合ってあげてください。決して彼女たちに怒りをぶつけないでくださち。一番苦しいのは、彼女たち自身なのです。

 

祖母があの世で祖父と一緒に幸せでありますように。

9/14

人間はいつになっても憧れの対象というものがあって、一生それを追いかけて死んでゆくのだと思います。

先輩、同期、後輩という枠組みに僕は真っ向からの否定派で、それは敬わないという意味ではなく、良し悪しに年齢・経歴を加味するのは無粋であるという考えです。

 

進むだけの人生にVHSのような巻き戻し機能はない。だったらその道標となる人とできるだけ一緒に過ごしたいものです。