日記

日記

10/8

祖母が亡くなりました。

彼女は認知症でした。祖父が亡くなってから認知症が、介護を試みた母を追い詰めるほどに悪化し、僕は彼女を激しく嫌いになったこともありました。もう10年近く前の話です。

生前、彼女は祖父を心の底から愛していました。仲睦まじく手を引き合いながらその老体を前へ前へと進めている姿が今でも鮮明に思い出されます。そんな愛した夫が亡くなってからは、「お父さんはどこ行ったん?」と事あるごとに問い、僕や両親や兄は、容赦もなく「貴方の夫は死んだ」と事実を突きつけ、最愛の夫が亡くなった悲しみを何度も何度も押し付けました。

祖母は幼い頃に両親を亡くし、遠く離れた親戚の家で育てられ、大平洋戦争を終え、祖父と出会いひとり娘を身籠りました。その出会いも決して世間に良いと思われるものではなく、今思えば彼女の人生は寂しいものだったと思います。

通夜のための写真を探すと、僕や兄や両親や祖父との写真が大半でした。趣味の短歌では、孫である僕らのことをただひたすらに愛していると謳っていました。

 

なぜ、生前に優しくしてあげられなかったのだろう。もっと愛してあげられなかったのだろう。もっと話してあげられなかったのだろう。もっと一緒にいてやれなかったのだろう。もっと一緒に生きられなかったのだろう。

 

納棺の際、彼女は好きだった多くの花に囲まれていました。闘病生活で痩せ細った姿は綺麗に化粧され、とても美しい老女に見えました。その姿を見て、僕は生前に出来なかった数々の後悔に想いを馳せるばかりでした。

 

認知症は、人を変えます。その病人も周りの人も。彼女たちは、日に日に覚えられなくなる自身に絶望し、絶望し、そしてその絶望すらもわからなくなっていくのです。

もし、認知症患者が周りにいるのなら、彼女たちの話す、彼女たちの世界に、一緒に付き合ってあげてください。決して彼女たちに怒りをぶつけないでくださち。一番苦しいのは、彼女たち自身なのです。

 

祖母があの世で祖父と一緒に幸せでありますように。